Interview_tanabe

Interview01

営業一筋25年
今が一番充実している

「売り上げ」や「給料」だけでは測れない
+αのチャンスから本当の充実を

南大阪チームリーダー

田辺 友好

野球人生から一転 営業の世界へ

– 入社までの経緯 –

私が入社したのは23~24歳の頃、そして今年で48歳になるので、
もう25年ほどになります。元々、大学を卒業してから1年だけ野球をしてたんですが、
それを辞め、就職しなきゃいけないというタイミングでこの会社に出会い、
それで今に至ります。今でこそプライドを持って働いていますが、
当初はこれといって強い志望動機があったわけではないですが、
当時の社長(現・会長)のお人柄に惹かれたということが決め手だったかもしれません。

職種についても、それまでは本当に野球一筋で来てたので、「とにかく何でもチャレンジしてみよう」というくらいの気持ちでした。当時は「営業」という仕事がどのような仕事かもはっきりとは理解していなかったんですが、家族から「仕事するなら営業が向いてる」と言われたのもあって、面接の時に「とりあえず営業をさせてください」と伝えました。そこからずっと営業一本できています。

入社したての頃は毎日先輩に同行して、ひとつずつ仕事を覚えていきました。営業という仕事の性質上、お客様とのやりとりが多いので、スポーツあがりの私としては「カッチリした応対が求められるんだろうな」と身構えていたんですが、当時の上司は、もちろん締めるところはきっちりと締めつつ応対自体はとても自然体で。「これだったら、努力をすれば自分にもできるかもしれない」と思ったのを覚えています。

営業一筋25年 今が一番充実している

– 営業という仕事 –

25年やっていますが、正直に言うと最近になるまで「やりがい」の意味を心では理解していなかったかもしれません。ビルダー様担当で受注数も多く、日々仕事に追われていたこともあり、長年「毎月の目標数字を達成する」ということを淡々とこなしていたように思います。

それが2年ほど前、通常の営業の仕事とは別でプロジェクトを任せていただいたことを契機に少しずつ変わってきました。とある商材、断熱パネルの販売を強化して、全営業にそれを浸透させていくというもので、もう2年ほど取り組んでいるのですが、これが今ようやく軌道に乗ってきていまして。

プロジェクトをきっかけに休眠先の開拓につながったり、新規獲得コンテストで1位をとったりなど、とくにこの半年間で成果が出てきているので、達成感をすごく感じています。同じ営業部署の中にも、熱い仲間、同じ志を持って結果を出してくれる仲間が出てきていたりもして。長年働いている中で、かつてないほど充実していますね。

その充実感は、通常の営業の仕事にも良い影響を与えています。

それまでは自分から何か提案したりなどということは少なかったんですが、「良い商品がエンドユーザー様に健康と快適を届け、それを取り入れたビルダー様にも喜んでいただける」というとても基本的な喜びを、自身が主体となって動いたプロジェクトを通して肌で感じることができたのは大きかったです「もっと喜んでいただきたい」という想いのもと、自分で工夫しながら働くことで日々の仕事はとても楽 しいものになりますし、とても良い循環が生まれてきていると思います。

それまでは自分から何か提案したりなどということは少なかったんですが、「良い商品がエンドユーザー様に健康と快適を届け、それを取り入れたビルダー様にも喜んでいただける」というとても基本的な喜びを、自身が主体となって動いたプロジェクトを通して肌で感じることができたのは大きかったです「もっと喜んでいただきたい」という想いのもと、自分で工夫しながら働くことで日々の仕事はとても楽 しいものになりますし、とても良い循環が生まれてきていると思います。

やりがいにつながる+αが溢れる会社

– 八尾トーヨー住器という会社 –

仕事というのはやっぱり、「売り上げをつくって目標を達成すればいい」とか「人より給料が多かったらいい」くらいの動機ではなかなか続かないと思うんです。続かないとは言わないまでも、それだけで充実した働き方をするというのは難しい。そう考えると、「普段の業務以外でも達成感を感じられる機会がある」ということはとても重要なんですね。「普段の業務や働き方を違う視点から見つめ直す」という意味でも。

その点で、この会社は本当に誰にでもそうした「+αのチャンス」がある環境だと思います。20代の若手だろうが40代の私だろうが平等に。対お客様の取り組みもそうですが、地域の方々に対する取り組みだったり、SDGsの取り組みだったり、本当に色々なことを展開していることもあり。私なんかは、正直SDGsと言われても理解が追いつかない部分もあったりするんですが、それでも先のプロジェクトのように「よく知っている仕事の新しい流れ」であれば手をあげることができますので。

逆に言えば、こうした+αのチャンスを通じて「どれだけ関わる人たちに貢献できるか」を見られているということでもあります。チャンスには責任が伴いますから、任せていただいたものはしっかり爪あとを残していかないといけない。年齢を重ねるとどうしても新しいことへのチャレンジに気後れすることもあり、何かしらの形でそうした挑戦や貢献を続けなければというプレッシャーももちろんありますが、結果的にやりがいへつながっているのでそれは良いことなのかなと。

そうした意味でも、この半年、自分なりに努力して成果を出せたことは大きな自信につながりました。これがなければ、今の自分はなかったように思います。これからも、+αの取り組みを通じて成長したり、自分の視野を広げたりしつつ、お客様に喜んでもらうということにつなげていきたいと思います。

昭和世代の試練 少しずつ自分を変えていく

– 変革をどう捉えるか –

今の社長になってから、ここ5~6年くらいでこの会社も大きく様変わりしてきています。働き方を見直したり、「こころ」というクレドカードを全社員が携帯し始めたりなど、そういった動きですね。

もちろん、こうしてひとつずつ形にしている「会社のあり方」というものは全く新しいものというわけではなくて、この会社が創業から大切にしてきたこと、会長(先代)の言葉をこの時代に合うように読み砕いたものなので、一応は自分の身にも染み込んでるものだと思っています。

しかしながら私は昭和世代で、年齢も40代なので、昔の「いけいけどんどん」「1に売り上げ、2に売り上げ」といった時代の価値観から完全に抜けだすにはどうしても時間がかかる部分があります。「遅くまで働くのが当たり前」「若手は新規飛び込みやってなんぼ」という中で育って、また自分は体育会系で体力もある方なので、「無理しようと思えば全然できるのに…」という思いがどこかにあるんですね。

もちろん、その時代があってこそ今の八尾トーヨー住器があるわけですが、時代の流れがそうではないことは理解しています。自分自身、このままではいけないなという気持ちもあり、今少しずつ順応しているところで、そうした意味でも先ほどお話ししたプロジェクトは大きなきっかけになりました。

リーダーシップひとつとっても、昭和の価値観、体育会系の価値観だと「上の言うことは絶対」みたいなところがあるじゃないですか。私自身、面倒なことは下に丸投げしたりなど、椅子でふんぞりかえっているタイプの上司だったんですが、そんな自分を徐々に脱却できつつあります。それも、「今の時代に合わせなくてはいけない」という強迫観念からではなく、「今自分が感じている充実感を後輩にも伝えたい」というポジティブな切り口で価値観の変容に向き合えていることは良いことだと感じています。

野球と仕事に通じること

– 私の仕事論 –

「これだ」というはっきりしたものが思い浮かぶわけではないんですが、よく「20年以上も同じ会社、同じ仕事を続けているのはすごいですね」と言われることがあります。私からすれば普通のことだと思っていて、逆に何回も転職してる方が不思議に思ったりするんですが、もしかするとこうして「コツコツ同じことを続ける我慢強さ」のようなものは野球、スポーツで培ったものかもしれません。

長年仕事をしていれば、それは当然「逃げ出したい」と思う時期もあるじゃないですか。私の場合は、お客様に怒られたとか上司に怒られたとかそういうものではなく、自分の成績が思うように伸びない、といった時ですね。そういう時は、会社に行っても立場的につらかったり、とにかく肩身が狭い。毎日がしんどくて仕方がないわけです。

ただ、これは私の考え方なんですが、「自分の本心は3ヶ月経たないとわからない」と思うんです。誰でも、何でも、逃げ出したくなるときは必ずある。ずっとやってた野球だってそうでしたから。でも時間が経つと「好きだから、やっぱり逃げ出したくない」と思うようになる。一時の感情でいちいち試合を投げ出してしまったら、その先にあるかもしれない幸せや喜びを掴むことはできないですよね。

若い子から「もう辞めたい」と相談を受けることもあるんですが、その時にも「それは一時だけの感情ではないか」と一度問うようにしています。それは当然ながら「つらいこともどうにか我慢して続けろ」という意味ではありません。「重要な判断ほど、自分の本当の気持ちをしっかりと見極めなければ」ということです。そうした基準も、今にして思えばひとつのものに打ち込んだ経験から築かれてきたものかもしれませんね。

スポーツマンと一緒に仕事がしたい

– 若手の教育、新卒の採用などについて –

私自身がそうして育ててもらったように、昔は若手が入社したらとにかく同行させてというのが当たり前でした。「見て盗め」という職人の世界観に近かったと思うのですが、中でも私はスパルタだと思われていたみたいですね。

そういった極端な体育会系の雰囲気というのは先にもお話ししたように段々と時代に合わなくなってきていますが、スポーツで培った強みというのはこれからの時代にも十分に活かせるものだと思っています。負けん気、粘り強さ、チームワーク、チャレンジ精神など、本当に多くのことを学ぶことができますから。

私自身、悔しい思いをしたときに「このままで終わってたまるか」という気持ちがあったからこそ、ここまで頑張ってこれました。いくつになってもアグレッシブに、挑戦を続けられる自分でいたいと思いますし、そんな「スポーツマン」と一緒に仕事をしたいなと思います。

「売り上げ」や「給料」だけでは測れない

+αのチャンスから本当の充実を

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若手営業対談